「いい写真」を撮るために私が気を付けているたった1つのこと

すごく心を揺さぶられるシーンに出会ってシャッターを切ったはずなのに、後で見返してみるとなんだか思ったほど良くないなーとがっかりしたり自己嫌悪に陥ったりしたことはありませんか?私はよくあります(笑)

写真の教科書を読むと、「漫然とシャッターを切るな」とか「ファインダーの隅々まで意識しろ」「ストーリーが感じられるような写真を撮れ」といったことが書かれていますが、これらは具体的には一体どういうことなのでしょうか?今回は、このような教えを私なりに咀嚼して最近意識していることをシェアさせてもらおうと思います。これを意識してから(少なくとも自分で)「いい写真」と思える写真が撮れる率が上がりましたし、人にいい写真だねと言ってもらえることも増えてきた気がします。とはいっても私はただのアマチュアですので、批判やアドバイス大歓迎です。自分の考えを言語化することでフィードバックをいただけたらいいなと思って書いています。コメントを頂けると幸いです。

 

きっかけは中井精也先生の本でした

私がこのことについて考え始めたのは、中井精也先生の『世界一わかりやすいデジタル一眼レフカメラと写真の教科書』という本を読んだときからでした。この本に通底するテーマは「写真撮影は『何を』『どう撮る』かが大事である」ということで、『何を撮るか』については、主題と副題をバランスよく配置して構図を考えることが大事であること、『どう撮るか』については露出補正、ピクチャーコントロール、ホワイトバランスの組み合わせでいろいろな表現ができることを紹介しています。最近改訂版が出たみたいですね。私が読んだのは改定前のものですが内容は大きくは変わっていないでしょう。

この本には目からウロコが落ちることが多く書いてあり、たいへんタメになったのですが、読んだあとに最初に感じた感想は、「『何を撮るか』を決めた後『どう撮るか』を決めるにはどうすればいいんだろう」ということでした。この本では例えば1個のリンゴをいろいろな撮り方で撮ってみるということを推奨していて、それは練習としてはとても大切なのですが、結果を確認しながらいろいろな条件を試すことができない現場ではどのように考えて撮影すれば良いのでしょうか。別の言い方をすると、「どう撮るか」をどう選択すればいいのでしょうか。

「いい写真」ってなんだろう

ここで冒頭の質問に戻ります。漫然と撮られたのではない、心に訴えかけてくるような「いい写真」とはどのような写真でしょうか。私はそれは、ただ被写体が写っているだけではなく、見る人の脳に撮影者の感情や思考を再現させるような写真なのだと思います。

昔読んだウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』という哲学本、さっぱり意味はわからなかったのですが、唯一納得したことは「世界は名詞でラベルされたモノの集合ではなく、我々が文として認識した事実の集合である」という考えです。噛み砕いて言うと、世界はリンゴ、机、皿といったモノが集まってできているのではなく、観測者である人間が「机が置いてある」「机の上には皿がある」「皿の上にはリンゴがある」「そのリンゴは赤くてみずみずしく美味しそうである」という文を構成することで構築されているという視点です。

これは衝撃的でした。そして上述した中井精也先生の本を読んだ時に頭をよぎったのはまさしくこの考え方だったのです。「名詞(リンゴ)を撮るのではなく、文(赤くてみずみずしいリンゴが皿の上で輝いている)を撮る」という視点こそが、写真を撮るときに大切なのではないでしょか。そしてそれを見た時にその文が再構成されたとき、人はそれを「いい写真」だと思うのではないでしょうか。少なくとも、私は今そう考えています。

シャッターを切る前に状況を「文」で捉え、それを写真に反映してみよう

長々と書きましたが、私が気をつけているのは、例えば「リンゴ」や「子供」を撮るのではなく、その状況をまず文として描写して、それを反映するように写真を撮るということです。これこそが教科書で言う「被写体をよく観察しなさい」ということであり、「漫然とシャッターを切らない」ということなのかもしれません。「赤いリンゴが光を浴びててかてかと光っている」であれば赤を強調するようなホワイトバランスにして、絞りは絞り目で露出は抑え目で光の反射をよく映せる角度から撮る、とか、「子供が元気にボールを追いかけている」であれば子供を主題とし、状況を説明するためにボールを副題として入れた上で、シャッタースピードを長めにして動感を出し、水平にはあまりこだわらずにむしろ少し斜めにしてみる、とかいうことです。

ここで問題となるのは「てかてかと」とか「元気に」というのをどう写真に表現するかということです。これを身につけるためには、多くのいい写真を見て、自分がどう感じたかを蓄積していくことです。クオリティの高い作品をたくさん見る方法については別の記事にしようと思いますが、とにかく写真を見てどう感じたかを明文化し、その写真の何がそれを表現するのに寄与しているのかを分析してみることです。最初は難しいかもしれませんが、多くの場合そこには単に被写体の魅力だけではなく、それを強調するようなテクニック(意識的であるか無意識であるかを問わず)が使われているはずです。そのテクニックと自分の受けた印象を結びつけていくことによって、自分の中に表現法が蓄積されていくのです。これを逆にやる(他の写真に全く触れることなく自分で「人に伝わる」表現法を確立する)のは大変で、この鍛錬を積むことなく「いい写真」が撮れる人は天才だと思います。

「写真は非言語のコミュニケーションであり芸術であるから、撮るときや見るときにいちいち言語を介在させるのはナンセンスである」という批判は当然あると思います。でも我々が何かを認識して心動かされるとき、そこにはすでに言語による思考が存在しているはずです。それを明示して把握してみるという試みは(少なくともある程度のレベルに達するまでは)決して無駄なことではないのではないでしょうか。

長くなってしまいましたしややこしくなってしまいましたのでこのへんで切り上げます。少なくとも現時点での自分への備忘録としては役に立つかな。それでは、今日もCapture the MOMENT!